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韓国の歴史捏造と歪曲(転載)

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さて、今回は、日本史の達人のねずさんが非常にすばらしい記事を書いておられるので、
それをここにもメモしておきます。

それは、本当に戦後の韓国は「日本から独立したのか?」どうかという真の歴史についてです。
ねずさんのこの記事は必読ですナ。
以下のものです。
これは結構長いので、本文はそちらを読んでもらうとして、
ここではその一部のみ引用させてもらいます。

***********************

たまたまWIKIを見たら、韓国の独立は昭和23(1948)年8月15日で、
米国の承認を得て李承晩が韓国の独立を宣言した、と書いてありました。
出典がどこなのかはわかりませんが、おもわず苦笑してしまいました。

どういうことかというと、実際には李承晩が韓国の独立を宣言したのが、昭和23年8月13日だからです。
ところがあとになってから、李承晩はこれを8月15日に「変更」しました。

なぜかというと、8月15日だと、日本の終戦記念日と重なり、
あたかも日本から韓国が独立したかのように「見える」からです。
で、記念日の名前を「光復節」としています。

韓国の歴史歪曲は、日本に対するものだけではなく、
なんと、自国の建国の歴史まで、捏造、変造しているわけです。
人が郷土に対する愛着を持つのは、あたりまえの人間心理ですが、
その郷土史にさえも変造を加えるというところに、韓国の施政者の底知れぬ悪意を感じます。
韓国の民衆は、はたしてそういう史実をしっているのでしょうか。

 (中略)

逆にいえば、日本が、その後ろ盾から「手を引く」と宣言した途端、
ウォンは信用がありませんから、韓国は国際舞台から消えざるを得なくなります。
カネの切れ目が縁の切れ目なのです。
国にも人にも信用がないから、簡単に切れてしまう。

要するに、日本の意思ひとつで、韓国は財政破綻し、
国家そのものを生まれ変わらせざるを得なくなるわけです。

おそらく中共政府も、この先15年を経ずしてこの地上から消滅することでしょう。
支那には、台湾にある中華民国政府がふたたび本国に返り咲くか、
あるいはまったく別な王朝が生まれるか。

朝鮮半島では、韓国が先に消滅し、北による統一がなされることでしょう。
新たに起こる支那の政府が、この時点で親日政権であれば、
北はむしろ日本との経済的一体性を強めたいと願うかもしれません。

国家の存在が、永続生をもってきたのは、世界の中で日本だけです。
他の国々は、常に流動的な中にある。
私達は、そういうことも視野にいれた日本外交を考える必要があるのではないかと思います。

このねずさんによれば、真の歴史とは以下のようなものだったらしい。

***********************

昭和20年(1945年)8月15日 → 大東亜戦争が終結したとき、
当時朝鮮総督にいた阿部信行陸軍大将と、朝鮮軍司令官上月良夫陸軍中将が、
朝鮮総督府から日章旗を降ろして太極旗を総督府に掲揚。

同日に朝鮮総督府政務総監だった
遠藤柳作は、日本統治終了以後に人望のあった朝鮮人の
呂運亨(りょうんきょう)に、朝鮮建国準備委員会(建準)を設置を要請。

ポツタム宣言の趣旨に沿ったものであるとともに、
もとより日本は朝鮮半島を日本の一部にするというよりも、
朝鮮が独り立ちして日本と友好的に独立することを望んでいた。

呂運亨らは、この朝鮮建国準備委員会で、朝鮮半島内の治安維持に努める一方、
独立主権を持ち、国際的に承認される朝鮮人民共和国の設立のために努力。

昭和22(1947)年7月19日 → 統一朝鮮国設立の立役者である呂運亨、
弱冠19歳の韓智根(かんちこん)の銃弾に倒れ、暗殺。
(この暗殺は、当時は極右団体の仕業と発表されたのですが、
最近ではソ連の息のかかった教唆主義者朴憲永(ぱくけんえい)一派による犯行説が有力。) 
→ 朴憲永は、その後北朝鮮内で金日成と対立し、
アメリカ帝国主義のスパイとレッテルを貼られて投獄され、
いまでは考えられないような酷い拷問の末、昭和30(1955)年12月15日に、満56歳で北朝鮮で死刑。

昭和23(1948)年8月13日 → 朝鮮半島が、米国の占領下から独立。
→ 日本よりも早い段階で独立が承認されたのは、
北の金日成が、ソ連のバックアップを受けて北朝鮮で統一朝鮮の建国を図るという動きが顕著になり、
その北の動きを牽制するため。
→ 米国は急遽、李承晩を大統領に仕立てて、統一朝鮮としての大韓民国の建国を宣言させた。

昭和23年(1948年)8月13日 → 李承晩が韓国の独立を宣言。

李承晩はこれを8月15日に「変更」→ 8月15日だと、日本の終戦記念日と重なり、
あたかも日本から韓国が独立したかのように「見える」から。記念日の名前を「光復節」とする。

昭和23年(1948年)8月24日 → ソ連軍が朝鮮半島に侵入。

昭和23年9月6日 → 朝鮮建国準備委員会、朝鮮人民共和国の独立を宣言。
統一朝鮮としての建国宣言。

昭和23年9月7日 → 米国進駐軍がソウルに侵攻。
米軍、統一朝鮮の象徴である太極旗をすべて降ろさせ、日の丸を掲揚。
米国、朝鮮人による朝鮮半島の独立を認めず、あえて日の丸を掲げさせることで、
朝鮮半島を「日本の一部」として取り扱い、進駐を正当化した。

昭和23年9月9日 → マッカーサーが朝鮮半島の占領統治を布告。
そしてこの段階で再び日の丸が降し星条旗を掲揚。
米国は、「朝鮮半島の日本からの独立」を認めず、米軍の占領地域にした。

それからまる3年 → 平壌以南の朝鮮半島は米軍の占領統治下に。

歴史的事実
(1)大韓民国の統治 → 日本から米国 → 独立。ゆえに、大韓民国の独立は、米国の占領からの独立。
(2)独立の日=8月13日。
(3)李承晩が、8月13日を独立祝賀会が行われた8月15日に、後に訂正。記念日の名前を「光復節」とする。
(4)同時に、李承晩は、これを「日本からの独立」とすり替えた。

ねずさんの慧眼
これは、はっきり申上げて、韓国民衆の選択ではなく、米国の選択の誤りです。
日本否定に凝り固まった米国は、大統領に李承晩を据えたのですが、
このときもし李垠などの朝鮮の皇族か、あるいは呂運亨などのしっかりとした国家観を持った教養人か、
あるいは旧陸軍士官学校卒業生の朴将軍や金将軍のような
優秀な頭脳を初代大統領に据えていたら、
おそらくその後の朝鮮戦争は起こらなかったであろうと思います。

昭和25年6月25日午前4時 → 金日成がソ連から兵器を借り受け、
突如韓国への砲撃を開始。破竹の勢いで南朝鮮に侵攻。朝鮮戦争の勃発。

昭和28年7月27日まで継続 → 南北合わせて500万人以上が死亡。
当時の朝鮮半島の人口のおよそ10分の1が消滅。

この戦争の結果、自分の国の大統領一派による虐殺をおそれた韓国の民衆が、
ボートピープルとなって、日本に大量に上陸。
朝鮮戦争後、日本はこのとき日本にやってきた韓国人を国に帰そうとしましたが、
韓国はその受け入れを拒否。そのことが、いまの在日問題を、日韓両国に招いている。

まあ、これが本当の歴史、史実です。
これは、きちんとした学者たちのきちんとした研究によってすでによく調査されたものらしい。

在日のみなさん、どこに日本国や日本人の罪がありますか?

どこにもねえよ。
むしろ、日本は最初から最後まで朝鮮人、韓国人、北朝鮮人の両方の国民に対して、最恵国待遇で処したんですナ。

ここに日本人の人の良さや精神性の高さ、大和民族に伝わる、和の思想の文化的伝統が垣間見える。

それにしても、李承晩と金日成は残虐だった。
これが朝鮮人特有の遺伝子のなせる技なんでしょうナ。








成功のカラクリ。


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