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韓国人識者が語る「靖国神社」、そして和夫一家虐殺事件

※とても当たり前のことを韓国内で発言し、逮捕され、
 現在は出国もできなくなっている人です。

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金完燮(キム・ワンソプ)

おかしなことに敗戦後、日本では首相や閣僚がここを参拝することがタブーとなっている。
参拝するたびに韓国や中国が非難するためだ。

1986年、中曽根康弘首相が八月十五日の靖国神社参拝を中断して以来、
首相の参拝は1996年の橋本龍太郎首相、2001年の小泉純一郎首相だけであり、
どちらも八月十五日には参拝していない。
(※この元記事は数年前のものです)

他国の首相が国立墓地を参拝することの是非を論じる周辺国の言動は理解しがたい。
これは日本という国にたいする侮辱であると考えられる。

戦犯が合祀されてはならないというのだが、かれらはほかの国からみて戦犯なのであって、
日本の立場からすればみな愛国者なのだから、まったく話にならない論理だ。

わが国におきかえてみれば、大統領が国立墓地を参拝する行為をさして、
ベトナム政府が抗議するのと同じことである。
そこにはベトナム戦争中にベトナム人を殺した韓国人戦犯が葬られているのだから、
ベトナム政府の立場として抗議するのは理解できる。

わが国の立場で考えてみれば、それでも国家の命令を受けて他国にいって犠牲になった軍人たちであり、
ベトナム戦争は経済発展に多くの助けとなったのだから、かれらを愛国者として遇するのである。

いったい韓国は太平洋戦争で日本と戦争でもしたというのだろうか。

当時韓国は日本であったし、朝鮮人はだれでも日本軍として参戦したのだから、
正しくいえば戦犯国により近いのだ。

じっさいに戦争当事国であるアメリカはなにもいわないのに、
関係ない韓国が非難するのは、名分がないだけでなく論理的にも納得がいかないのである。

靖国神社には朝鮮出身の日本兵二万人と台湾出身の日本兵二万名が祀られているという。
朝鮮人の戦死者が日本人の戦死者の1パーセントにもみたないのをみれば、
人口比を勘案しても当時の日本がどれくらい良心的に戦争をおこなっていたかがわかる。

ところがこの二万人の朝鮮出身の戦死者にたいして、
韓国政府は位牌の返還を要求している〔神社には位牌は存在しない〕

これまた誤ったことだ。

かれらは戦死した時点では日本人であったし、日本のために戦って死んだ人びとなのだから、
その霊魂を称えることは当然日本の権利だ。
日本政府は神道の教義上、いったん神として祀ればそれをとりさげることはできないといって、
韓国政府の要求を拒んでいる。
じつにやるせない話だといわざるをえない。

靖国神社に位牌があったとして、
もしも日本がこれら朝鮮出身の戦死者の位牌を韓国に送ってくれたなら、
どうするというのか。
国立墓地に安置するのか。それは不可能なことだ。

それなら日本のために戦った戦争犯罪者だと侮辱して「剖棺斬屍(ブダアンチャムシ)」でもするというのか。

位牌を返してくれという遺族たちは、自分の先祖が日本で神として崇拝されていることを、
なんでそれほど不快に思うのか、私にはわからない。

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金完燮氏著
『親日派のための弁明』より


**

この本は、戦前の日本による朝鮮統治について評価、肯定的な見解を述べた評論で、
当初、韓国で販売されましたが、内容が問題視され、
青少年有害図書にも指定され、キム氏は逮捕までされたとのこと。

日本では、草思社から日本語訳が2002年7月販売されました。
販売直後から反響を呼び、歴史書としては異例の40万部のベストセラーに。
2004年11月に扶桑社から文庫本が、さらには、
2006年9月に『親日派のための弁明2』の日本語訳も販売されました。

Wikiによると、キム氏は日本での出版を機に来日することを考えていたそうですが、
本人の著書には 『パスポートの更新に応じてくれない』とかかれており、
事実上の出国禁止処分になっているようです・・・。

**

ところで、韓国で青少年有害図書にまで指定された
この本の日本語未翻訳部分があるのをご存知ですか?
以前にも紹介させていただいた「朝鮮・韓国人による日本人虐殺事件-『和夫一家殺害事件』」 です。
衝撃的な内容なのでご注意ください。
以下、ご紹介します。↓


◇和夫一家殺害事件 敗戦直後の朝鮮の状況

私は生粋の韓国人だ。
でも、韓国人というものがあまりにも情けなく、えいっと殺してしまいたいときがある。
なぜ日本の蛮行は暴くのに、自分たちの汚い利己心と低劣な鍋根性には目をつぶるのか?

日帝時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には、明らかに立派な人々も多かった。
ところが、和夫一家殺害事件のように、韓国人は自分たちの間違いを、
日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し、事件を矮小化、隠蔽しようと躍起になっている。

和夫の亡骸は、釜山に大切に移葬され、毎年、日本人の墓参りが絶えない。
以下は、和夫夫婦が死んだ日、ふだん彼から深い恩を受けていた
金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。
事件当時、金ソンス君も加害者だったが、殺害行為には同調しなかったそうだ。

和夫氏は、日帝時代によく見られた、慶尚道地方の日本人地主だった。
地主とはいうものの、和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって、
乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。
公務員だった和夫は、政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。
そのころの日本は、一種の軍事独裁体制で、
政府の命令に従わなければすぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。

当時、朝鮮にいた日本人地主のなかには、朝鮮人の小作人たちから、
法の規定以上の小作料を取り立てる、怪しからぬ人々もいたが、
ふだんから人情味の厚かった和夫は、小作料を収穫全体の十分の一とし、
村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。

自分たちの生活が困らなかったので、総督府の法令にしたがって、
やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。

貧しい小作人が食料がないと泣きつけば、喜んで食べるものを分けてやったし、
村で誰かの葬礼があれば、家族総出で駆けつけ、食事の支度はもちろん、
自ら慟哭して、悲しみを分かちあうこともあった。
このように、和夫は人間への温かい愛情をもった、真の人間だった。

また、和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を見ていたが、
その数は、一人、二人と増え、四、五年たつと
いつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。
けれども、和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。

和夫の家族は、ふだん、このように 朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。
しかし、彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、
自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害されたのだ。

その日、まさに万歳の声とともに、太極旗が波のように風になびきつつ、朝鮮人の世がやって来た。
神は、自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと、和夫君に嫉妬したのか?

彼がわが子のように育て、東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に、
彼の家で教育を受け、育ち、成人した青年たちが、斧と鍬、スコップを手に、
和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は、次のように証言している。

和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを、子どもたちよ。

A:チョッパリ! 日本へ失せろ、失せちまえ。

和夫:(怒ったような声で)私が、お前たちにどんな間違いをしたというんだ。
お前たち、みなが私の息子だ。私はこの家の家長であり、お前たちの親だ。
お前たちの祖国が解放されたことは、私もふだんから待ち望んできたことだ。
踊りでも踊りたい気分の日に、なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。
私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。
朝鮮の息子たちよ。
私が愛を傾け、育ててきた結果は、つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。
お前たちが望むなら、帰ってやるわ。

A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら、おれたちはどうやって食っていくんだ?)

B:死ね、チョッパリ、シッパルノマ。

間髪入れず鍬が、和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に、
数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。

このとき、和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。
それまで黙っていたCは、和夫の妻を見て、彼女の長い髪をつかみ、
庭の奥まったところに引きずっていった。

そしてなんと 十三人がかりで、ほんの一週間前までお母さんとして
恭しく仕えていた彼女を、強姦しはじめた。
(金ソンス君は、この期に及んで自分が止めに入ったら、自分も殺されただろうと言った)。

強姦に耐えられなかった彼女は、行為の途中で死亡し、
Dは、ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず、
内臓をひきずり出して、まき散らした。

和夫には、一人の幼い娘がいた。
ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは、放課後、家に帰ってきて、
両親の身に起こった惨状を見、気が触れてしまった。
ヒミコが何日間も慟哭する声に、近隣住民たちは眠れなかったそうだ。

その後、孤児になったヒミコは、食べ物を乞おうと、その付近をさまよったが、
朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず、知らないふりをした。

結局、彼女は九日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。
当時、ヒミコは小学校六年生の幼子だった。
和夫の財産は、勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり渡り、
この事件は村人たちの沈黙の中、しだいに忘れられて行った。

和夫一家殺害事件
~「親日派のための弁明(著者金完燮氏 キム・ソンス君の証言)」より

和夫さんに育てられ、仕方なく事件に加わったキム・ソンス少年の証言を、
キム(金完燮)氏はこの本にかかれました。
が、日本語翻訳はされなかった部分です。

とても衝撃的な内容です。
昨日まで父母に代わる恩恵を受けた人物を手の平を返すように虐殺、
強姦する残虐性は、日本人には理解し難いことだと思います。
「差別」を声高に叫ぶ在日・朝鮮の人たちが決して口に出せない過去のひとつでしょう。








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