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敗戦後の平壌における、ある夜の出来事(転載)

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戦争が終わった後もわたしたち一家は平壌に居残っていました。
ある晩の事です。
玄関の音をはげしく叩く音がしました父が出てみると
進駐してきたソ連2人を後ろに従えて朝鮮人が立っていました。
「この家には女の子がいるはずだ、連れて来い!」
朝鮮人はいきなり怒鳴りつけました。

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「うちには女の子はいません。」
父は嘘をつきましたが、とっくに調べはついていました。
「差し出さないなのなら家族全員の安全はないぞ!」
「ゆるしてください。あの子はまだ子どもです。」
父の哀願も、朝鮮人には全く通じませんでした。
「日本人も戦争中子どもたちを犯し尽くしたのだ。
 戦争に負けた今、お前たちが同じ思いをするのだ!」

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父はうなだれて、朝鮮人を家に入れると、私を奥の部屋に連れていって、こういいました。
「これからあの人とお布団に入って寝るんだよ。」
「なんで?知らないおじさんと寝るの?」
わたしは嫌で仕方ありませんでしたが、父のつらそうな顔を見て、嫌とは言えませんでした。
「痛い事をされてもじっと我慢するんだよ、すぐにおわるから。」
私は意味が判りませんでした。

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わたしはお布団の中で朝鮮人のおじさんに、とても痛くて気持ちの悪いことを
色々と繰り返しされました。
おじさんはその間中「この日本人め!日本人め!」と言いながら腰を突いてきました。
何回か続けるウチに私のお大事の辺りはあまり痛みを感じなくなっていきました。

後はもう、おじさんが体や口の中を嘗め回すのが気味が悪くて早く終わって欲しいと願うだけでした。

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翌日、お大事の所から血が止まらず、お医者に連れていかれました。
お医者さまは、私の足をいっぱいに開いて、
とても痛い麻酔の注射をして、色々と手当てをしてくれました。
父と母に
「陰部および肛門に裂傷、直るまでは同じ事はさせないようにと言いました。
(直ったら又同じ事をされる!)
一度だけだと思っていた私は恐ろしさのあまり涙がでました。


●日本人少女ヨーコの戦争体験記

http://ja.wikipedia.org/wiki/竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記

以前、「ヨーコの話」の著者がアメリカで韓国系アメリカ人にバッシングされたことがありました。
内容は全て嘘で、加害者が被害者の振りをするなと言うものでした。
朝鮮人という民族はどこまでも独善的で決して自らの非を認めたがりません。
人を殺しても殺されたほうが悪い。それなりの理由があったはずだと言わんばかりです。
もともと朝鮮人にとって日本人は海の向こうの野蛮な民族で、ずっと低く見てきた存在です。
儒教の世界では上の者は下の者には何をしてもいいと言う傾向がありますから、
特に、彼らからみて劣位にある日本人をどうしようと構わないわけです。
もちろんだからといって朝鮮人が日本人にやらかした数々の残虐な行為は許されません。

ただ、彼らの思想や行動原理を知っておく必要があります。

そのくせありもしない従軍慰安婦強制連行で謝罪と賠償しろと騒ぎ立てるのです。
従軍慰安婦強制連行を朝日新聞が捏造
http://ccce.web.fc2.com/ia.html
共産党の文筆家吉田清治氏が書いた小説を引用した朝日新聞の捏造だった


●引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐

「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。

 北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、
辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、
ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、虐殺されている光景であった。

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吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。
夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、
17になる娘を父親からひったくるように連行。
娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。
部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、
金や着物や米などが取り上げられた。
靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。
一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。城津での惨状は言語に絶した。

朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、
干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、
あげくは婦人の“提供”を要求されたという。

博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。
また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。

昭和21年の春、堕胎のための専門病院設立のきっかけになる出来事があった。
医療救護に従事していた医師・田中正四は、港で引揚船から降りてきた教え子と再会した。
京城女子師範を卒業して朝鮮北部の田舎の学校に赴任していた彼女は、
進駐してきたソ連兵に暴行されたのだ。
しかも一度では済まず、相手も変わった。
兵隊同士が情報交換をしていて、部隊の移動のたびに新しい兵隊に襲われたのである。

救療部の関係者は悩んだあげく堕胎手術に踏み切った。
医療設備や技術の不備、そして何よりも、当時は堕胎を禁ずる法律があったからである。
しかし手術は失敗し、娘は命を落としたのである。

二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、「水子の譜」に収録されている。
同医師が昭和21年6月10日付で救療部に提出した報告書によれば、
強姦の加害者は朝鮮人が最も多く、次いでソ連人、中国人、アメリカ人、そして台湾人、フィリピン人も登場する。

※太平洋戦争後、朝鮮半島から日本人が日本に帰る(引き上げ)時に、
 多くの日本人女性が レイプされ、強姦犯の子供を宿しました。

福岡県の二日市保養所は、レイプ被害に遭った日本人女性に堕胎手術や性病の治療を行った。
当時堕胎は違法行為であったが、厚生省は超法規的措置として黙認した。
その病院だけでも数百人の日本人女性が麻酔無しで堕胎手術を受けた。

朝鮮人はこの明らかな大犯罪を日本人被害者に詫びていない。
一銭の慰謝料を払っていない。

それでいて、未だに嘘ででっち上げた「従軍慰安婦」を持ち出してしきりに謝罪・賠償と世界中で騒ぎ立てている。

一体この朝鮮人というのはどういう神経をしているのか全く理解できない。

そして、戦中の密入国者、朝鮮戦争の難民として、日本に住み着いた在日朝鮮人、
彼らは70年かけて、日本のマスコミや芸能界をほぼ占拠し、
ありもしない「韓流ブーム」とやらを捏造してまで、
無辜の日本人を洗脳し続けている。

彼らは通名を使うので、凶悪犯罪の犯人であっても
本名の朝鮮名が報道されることはマレである。

こうやって朝鮮による日本の簒奪を目論んでいる。

こんな連中を、いつまで日本においておくんですか?






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