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在日の人々

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日本の敗戦後も日本に留まった朝鮮半島の人々。
彼らは強制的に日本に連れられてきた被害者なのか。

●終戦後、日本にいた朝鮮人200万のうち60万人は日本に残った。
これは貧しい祖国へ帰るよりましだとしたから。
                《金完燮 「親日派のための弁明」》

●「済州島四・三事件」=済州島民が米軍の占領・分断に反対して、1948年4月3日武装抗争を起こした。
これを理由に警察・軍・右翼青年団が住民を虐殺した。
済州島はもの凄く貧しいところで、共産党が非常に強かった。
共産党の反乱を米軍と一緒になって時の韓国の政権が弾圧したわけである。
今でも関西方面には済州島から逃げてきた在日が非常に多いが、それはその虐殺の余波だという。
                《船橋洋一 「日本よ!日本人よ!」》

●民団が在日一世に聞き取り調査をしたところ、自分はいわゆる強制連行、
正確には徴用で連れてこられたと言っているのは、わずか数%しかいなかった。
また外務省の発表によれば、昭和34年当時、関係各省で調査した結果、
登録されている在日コリアン61万人のうち、
戦時中に徴用労働者として来た者はわずかに245名に過ぎないものだった。
それ以外は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者としてその家族や、
鉱工業・土木事業の募集に応じてきた者で、戦後もそのまま住み続けた人たちだったのである。
(朝日新聞1959年7月13日)
                《八木秀次 「日本を愛する者が自覚すべきこと」》

●(米軍の)占領下、朝鮮人の処遇をめぐり、「解放民族」か「敗戦国民」かという規定の混乱もあって、
一部の朝鮮人が「解放民族」を称してしばしば集団的に実力行使をした。
焼け跡や公共の建物を占拠したり、配給食料・物資を不正に入手した。
金を払わずに鉄道の切符を押し取るなどして無賃乗車をした。
闇(非合法)物資の横流しや密造酒の製造販売をする朝鮮人も多かった。

●土木工事などのために河川敷に臨時の飯場が作られ、
それがなし崩しに定着して朝鮮人部落が形成される。
(東京では立川・調布・稲城などに多数点在していた)
また鉱山のクズ鉱石などを捨てたボタ山の周辺は、朝鮮人が不法占拠している場合が多かった。
彼らは極めて頑強で、日本人はどうしてもそれを追い出すことができない。

●これら在日朝鮮人は、まだ人が入っていない家を壊して燃料にし、その跡地を畑にした。
さらに周辺の空き地にブタ小屋や焼酎製造所を建て、既成事実を作ってしまった。
しかし1960年代になって日本社会が戦後の混乱を脱して安定してくると、
当局は土地の明け渡しを求めるようになる。
しかし権利関係が不明瞭で、「出ていく」「出ていかない」の押し問答が続くばかりで、埒があかない。
もはや公権力でも追い出すことができない。
                《金昌烈 「朝鮮総聯の大罪」》


●東京でも、疎開している人が帰ってきたら、自分の土地に朝鮮人が住んでいるところが実に多かった。
しかし、それを取り戻す手がなかった。
             《渡部昇一 「子々孫々に語りつぎたい日本の歴史」》



●「台湾人と日本精神」の著者・蔡昆燦氏は、陸軍特別志願兵として京都の山奥で敗戦を迎える。
その年の暮に祖国台湾に帰還するまで、敗戦の混乱についても触れている。
一夜で「戦勝国民」になった氏らには、有り余る食べ物が提供された。
氏はそれで焼きお握りを作り、飢えた子供たちに配った。ふ
と見ると「子供たちに海軍の防寒用チョッキを分けている連中がいた。
聞くと同じ台湾志願兵だった」
しかし同じ部屋にいた朝鮮人たちは、
「食糧倉庫や被服倉庫を襲って集団で強奪した」
「意気消沈する日本人を殴って戦勝国民だと威張っていた」


●戦勝国民のために日本は特別列車も仕立てた。
たとえそれが数人でも、まる一車両を用意する。
粗相があると彼ら戦勝国民は駅長や責任者を呼び出して、殴る蹴るの暴行を働いた。
当時旅客局長だった下山定則も彼らに袋叩きにされ、睾丸破裂の重傷を負っている。
                 《高山正之 週刊新潮2007/3/8》


●在日の国籍問題だが、ある時期、自動的に彼らは日本籍を失ったことを「剥奪」と言う。
その時点でなぜ選択させなかったのかというのだが、それは時代状況を無視した議論である。
日本敗戦の状況下で、日本はもちろんそれを問う状況ではないし、
彼らの中にもそんな発想、要求はなかったのではないか。
いわゆる”第三国人”ながらある種の戦勝国気分にひたった時期があった。
その結果、戦後日本社会でいろんなトラブルもあった。
                 《黒田勝弘 「朝日vs.産経ソウル発」》

●「三国人」は旧植民地、つまり連合国・中立国民でなく敗戦国民でもない、
第三国人という「GHQ用語」だった。
彼らの一部は自分たちを「治外法権」だとして、過剰に活発、ときに暴力的な経済活動を行った。
「三国人」に「不快な畏怖」の色調が添えられたのは、そのせいである。
                 《関川夏央 「「世界」とはいやなものである」》

●大韓民国の建国は1948年8月15日、朝鮮民主主義人民共和国は同年9月8日なので、
その独立までの3年間はどこの国の国民とも言えない人たちだったから、
アメリカは日本内地では新しく第三国人という呼称をつくった。
決して差別用語ではない。

●この人たちの多くは「自分はもう日本人ではない」と考えていたので、
日本の法規や常識を無視して生活した。
つまり犯罪に走った。これは東京・大阪・神戸などで見られた現象である。
日本の警察や税務署を無視して活動したので、日本の商店街は「自治会」をつくったが、
ここから○○組といわれる組織が誕生した。
「日本の警察が○○組に弱いのは、このときの借りがあるからだ」
というのは商店街の人の常識である。
         《日下公人 「戦争が嫌いな人のための戦争学」
              他の著書「いま日本人に読ませたい「戦前の教科書」」》


●朝鮮人は、戦後すぐ在日朝鮮人連盟を立ち上げ
「我々は日本の搾取と奴隷的差別から解放された。日本に報復する」
と宣言した。
彼らは殺しも強姦もやりまくった。
日本側が諫めると警察署を襲い、首相官邸にも殴りこんだ。
浜松では賭博開帳の現場に踏み込んだ警察官を捕まえ、嬲り殺しを始めた。
手を出せない警察に代わって関東霊岸島一家小野組が浜松の中心街で4日間も市街戦をやって、
死者も出しながら警察官を救出した。
浜松市議会は無法朝鮮人を退治した小野組に50万円を贈っている。

●日本中の駅前の土地をみな不法占拠した朝鮮人の大方が密入国者だったが、
みな強制連行されたことにして、日本政府に「外国人の犯罪者は国外退去」の適用を外させた。
在日の犯罪跋扈はここから始まった。
昭和25年に生活保護法ができると彼らは「俺たちにも支給しろ」と騒いで、
門前払いした神戸の長田区役所を襲った。
以後、日本中の役場が襲われ、
恐れをなした厚生省は在日だけ生活保護費の無審査支給を認めた。
                   《高山正之 週刊新潮2012/7/26》

●戦前の日本に来た普通の朝鮮人には、金持ちなど一人もいなかった。
それが戦後は一人残らず金持ちになった。
後で貧しくなった人たちもいるが、その人たちは強制連行されたなどと嘘をつく。
彼らは戦後の焼け跡に住みついて、それが自分の土地だと主張し、金持ちになった。
だからパチンコ屋や焼肉屋が駅の近くの便利な場所にある。
あの土地を元来、彼らが持っていたはずはない。
戦争で焼けて所有者が亡くなったり行方知らずになったりした所に居座った例が多いのだ。


●そんなことができた理由の一つに、
日本には当時、不動産泥棒に対する罰則がなかったということがある。
不動産を盗むということが普通はないからだ。
焼け野原になった日本で最初に駅の近くにできたのは闇市で、
そこでは警察が取り締まれなかった集団が圧倒的に有利だった。
これがいわゆる第三国人である。
神戸では第三国人に警察まで占領されたことがあった。
それを救ったのが山口組だったりしたものだから、
長い間、警察は山口組に頭が上がらなかったと言われる。


●木田元という哲学者が当時の体験として、こんなことを語っている。
敗戦直後は汽車がものすごく混む。ところが朝鮮人が乗っている車両は、
彼らが日本人を入れないから、がらがらに空いていた。
そこに木田さんが入って行くと殴られる。
それでもがんばって潜り込んだという。
こういう事態に対しても、日本にはどうする力もなかった。
私が一番腹立たしいのは、朝鮮人が戦勝国民だと言ったことだ。
戦勝国どころか、彼らの中には日本軍の特攻隊に参加してくれた人もいたし、
日本軍の景気のいい時は、志願兵が多くて競争率が何十倍にもなっていた。
         《渡部昇一 「渡部昇一「日本の歴史」(全8巻セット)」》




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