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韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題――戦争の記憶と和解 その2(転載)

報道10年後の軋轢 

韓国では1998年に民主化運動の柱であった金大中が大統領に就任し、
ベトナムに謝罪の言葉を述べ、その後ODAによるベトナム中部への投資が増大した。

しかし、金大中の謝罪は自分たちの尊厳の冒涜だとみなす元参戦軍人は、
反発を強めて韓国全土で巻き返しをはかった。
2000年代後半に入ると「ベトナム参戦碑」を各地に建て自ら顕彰する動きが顕著となる。
保守政権に替わったことも後押しし、
自分たちの地位向上を政府に働きかけ法律改正などを目指しはじめるなど、
圧力団体としての活動を活発化させた。

一方、激しい民主化闘争を経て政権交代が普通のこととなった韓国とは異なり、
ベトナムではドイモイ開始後も共産党一党独裁が続き、一時政治改革も目指されたが、
1989年の中国の天安門事件以降、改革の多くは経済面に限定されるようになった。

そうしたなかでも当初外務大臣がク・スジョンの活動に感謝する親書を送るなどしていたが、
韓国世論の鋭い「記憶の闘争」状況を知るにつれて、
「過去にフタをして未来へ向かおう」というスローガンによる
自国民の記憶の統制を重視するようになったのである。

民間人虐殺をめぐる両国のナショナルな歴史認識(公定記憶)は
矛盾したものであるにもかかわらず、国際問題とならないように心をくだく皮肉な状況がある。
ベトナム国家は被害者の記憶を管理しようとし、
両者の和解のもとで後世に語り継ごうという韓国NGOの努力を阻んでいるのである。

2009年9月済州島 001
sansen.png

(済州島のベトナム参戦記念塔 2009年9月撮影)

■韓国国会の議決

両国の経済関係は、韓国が1997年の通貨危機から立ち直るにつれ急速に深化した。
貿易規模は2003年の30億7000万ドルから2008年には98億4000万ドルに拡大し、
2011年に178億9100万ドルとなり伸び率は日越間を上回る。
このような両国関係をさらに強力な「戦略的協力パートナーシップ」に格上げすることを目指して、
大統領の訪越が計画された。
2009年10月、当時の李明博大統領は国賓として訪越したが、
この直前に一悶着あったことが、翌年報道された。『朝日新聞』の報道を引用する。
(2010年1月6日付朝刊)

ベトナム戦争の解釈「平和維持」 韓国にベトナム反発

【ソウル=牧野愛博】韓国が、45年前に派兵したベトナム戦争の解釈をめぐって
ベトナム側と衝突し、昨年10月の大統領の訪問が宙に浮きかけていた。
功労者の顕彰制度に関する法改正に際して、
派遣された兵士たちが「世界平和の維持に貢献した」と表現したことにベトナム側が反発。
政治決着がなされたが、日本との間では「侵略行為」を批判してきた韓国が「侵略者」と追求される立場になった。

複数の韓国政府関係者によると、
発端は昨年9月、韓国の国家報勲庁が発表した「国家報勲制度」の全面改訂作業だった。
法律で「戦争参加功績者」とされていたベトナム戦争参加者の扱いを「国家的功労者」に格上げする方針を決定。
国会に法案改正の趣旨説明文を提出した。

この文書で参加者を「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇士」と表現。
ベトナムが「我々は被害者。ベトナム戦争の目的が、なぜ世界平和の維持なのか」とかみついた。
10月20日から予定された李明博大統領の国賓としてのベトナム訪問も
「このままでは訪問を歓迎できない」との考えを非公式に伝えた。
驚いた韓国側は、柳明桓外交通商相を急きょベトナムに派遣。
外相会談で「世界平和の維持に貢献」の文書を削除することを約束し、
李大統領のベトナム訪問を予定通り実現させた。
一連の外交交渉で、ベトナム政府は
「侵略者は『未来志向』といった言葉を使いたがり、過去を忘れようとする」
と指摘。
小泉純一郎首相(当時)の参拝で中国や韓国の反発を招いた靖国神社問題を例に取り上げ、
「この問題で日本を批判している韓国なら、我々の考えが理解できるだろう」
と訴えたという。

まずベトナムが日本を持ち出して韓国を説得したことを重く受け止めねばならない。
日本がベトナムを占領中に発生した1945年の大飢饉などに対して補償を要求したことがなく、
日本の歴代首相の靖国神社参拝に関しても沈黙を守ってきたベトナムだが、
黙っていることと、歴史を忘却していることは別である。

日本が「自国の引き起こした負の歴史を反省できない国家」だとの印象はベトナムにもある。
日本が韓国、中国、台湾、ロシアという周辺国とはいずれも領土問題でもめるなか、
「非常に親日的な国家」と日本ではもちあげられるが、
アジア・太平洋戦争で大きな被害を受けた国家の一つであるベトナムが、
日本の公的な歴史認識を批判的に見ていることには留意すべきだろう。

経済的利益を優先して自国の被害者に妥協や忍従を強いる局面も多いベトナム国家が、
なぜ突然、韓国の歴史認識に異議を唱えたのだろうか。

このニュースは韓国では報道されたものの、ベトナムでは全く報道されなかった。
したがって一般のベトナム人からの反発を招くことはなかったが、
ベトナム戦争に勝利したことが現政権の正統性の根源なので、
韓国国会のベトナム戦争参戦正当化の言説を認めることはできなかった。

さらに現在の政権中枢部の人々自身がベトナム戦争を経験しており、
個人的心情からも、「侵略」を「貢献」と言いくるめる韓国の歴史認識や、
国会という場でそうした歴史認識に基づく法律が制定されることは、
許容範囲を超えたものだったと思われる。

虐殺被害住民に対して「過去にフタをして未来へ向かおう」と呼びかけてきたベトナム国家だったが、
事が自らの「誇り」、「正統性」、「アイデンティティ」に抵触する問題として立ち現れると、
我慢ならず声を上げた。

ただ、ベトナムとしては、参戦した韓国軍兵士の問題は内政問題であり、
国家レベルでベトナム戦争を正当化する言説を除去することができればよいと考えていた。
そのため、韓国が「ベトナム戦争」の語句を削ってくれさえすれば、
ベトナムの国民世論を沸騰させるような措置はとらずにすませたいと願っていた。
外交上手のベトナムならではの対応ではある。

こうして李明博大統領の2009年10月の訪越は無事終わり、
両国関係は「包括的パートナーシップ」から「戦略的協力パートナーシップ」に格上げされた。
日韓、日中関係と異なり、両国政府は問題がエスカレートすることを望まず、
互いの異なる公定記憶には目をつぶり、互いの事情を「慮る」配慮を見せて、
根本的な解決をめざすことなく問題を葬り去ったのである。

■阻止されたベトナム人記者の韓国派遣計画

韓国では、『ハンギョレ21』の報道後、14のNGOが「ベトナム戦争真実委員会」という組織を結成した。
韓国軍の戦争中の行為の真実を明らかにし、ベトナムに謝罪して、
和解への道を模索し、未来の平和を求めるのが目的である。

当初委員会は、ベトナムのフーイエン省につくることとなった
韓越平和公園内に「平和歴史館」を設置することに力を注いだが、
ベトナム側の許可が得られず韓国国内での建設に計画を変更した。

この委員会は、先の国会議決が外交問題化した際、
ベトナムのマスコミ関係者や作家などを招請し、
先にふれた元参戦軍人が立てた「ベトナム参戦碑」などを一緒に見に行く予定をたてた。

ベトナム側では、ク・スジョンがこの計画を提案したが、
計画が上層部に上がっていくと、どの新聞社やテレビ局も記者に許可を与えず、
逆にこのような計画自体が問題とされた。急増した「ベトナム参戦碑」などが、
マスコミ報道によって外交問題の種になることを恐れたためだろう。

こうして両国関係は良好なまま推移しているが、
「記憶の闘争」状況をベトナムに伝えようとした韓国NGOの新たな活動は阻止された。

おわりに 

日本を含め、ベトナムと戦火をまじえた複数の国家は、
「過去にフタをして未来へ向かおう」という方針を、過去をもちださない潔いものと評価している。
しかし現代世界では、「過ぎたことを水に流す」のは戦争に関する限りもはや美徳ではなく、
「平和ために<過去>を忘れない」ことこそが美徳である。

ベトナム国家の方針は、地元だけでなく、
ク・スジョンや『ハンギョレ21』の報道、NGOナワウリの活動などの、
暗い歴史を明るみに出し過去を教訓にして未来に生かそうとする動きとも微妙な齟齬を生じてきた。

それが典型的に表れたのがハミ村の慰霊碑騒動であった。
ハミ村のような最前線の村々の虐殺被害者たちは、高齢者、女性、子供ばかりで、
解放戦線に参加してゲリラ活動をしていた人々ではない。
虐殺の生存者や遺族も、革命に功労があったわけではないため、
現在ほとんど何の手当ても得ていない。
このような「中途半端」な村の虐殺事件の記憶は、
経済発展に邁進することこそが至上命題の現在のベトナム国家にとっては、
掘り起こしても何の得にもならない「歴史」に過ぎない。

それに対し、ベトナムの戦争をめぐる公定記憶は、
北の正規軍や解放戦線の命がけの、あるいは自身を犠牲にした戦いの輝かしい勝利の記憶である。
したがって、生存者の語る「ハミ村の虐殺」は
ベトナム国家の公定記憶になりえず、ナショナリズムとも結びつかない。

以上のように、国家が記憶を解釈しナショナルヒストリーを構成すると、
都合のよいものだけが記憶され、切り捨てられる記憶が出てくる。

小菅信子は、
「ナショナリズムと強固に結びつかない悲惨な<過去>は、
時の流れによって風化する。
戦争世代の死は、<過去>をめぐる感情対立をともかくも解消へと導いていくことになる」
としている。

ハミ村など韓国軍によって引き起こされた虐殺の記憶は、
通常なら生き延びた人々の死とともに消えていく記憶だが、
皮肉なことに、韓国のNGO関係者が、外部者として別の回路で記述・記憶しつづけている。
ベトナム戦争の記憶を語り継いで未来の平和に生かそうとする韓国NGOの活動こそが、
国家に包摂されない戦争の多様な記憶を維持しているのである。

ク・スジョンは、「国賊」などといわれながらも、
韓国のナショナルヒストリーに風穴を開けた。
また、ナショナルヒストリーを占有したいベトナム共産党からも厄介者扱いされながらも、
ナショナルヒストリーになりえない記憶をすくい上げ、記憶の当事者たちの癒しに貢献している。

本稿では、韓国のNGOや個人など民間の地道な活動が、
虐殺を生き延びたベトナムの人たちの心を解きほぐし、記憶の歪曲や忘却によってではなく、
記憶を新たにすることで赦しと和解が生まれてきた過程を論じた。

韓国軍によるベトナム民間人虐殺の話をするには
日本の植民地支配と戦争に関する記憶のあり方を抜きには語れないが、
この問題も含めた詳細は拙著をお読みいただきたい。
『戦争記憶の政治学-韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題と和解への道』平凡社2013年

参考文献

・ハンギョレ新聞社(川瀬俊治・森類臣訳)『不屈のハンギョレ新聞-韓国市民が支えた言論民主化20年』現代人文社、2012年

・金賢娥(安田敏朗訳)『戦争の記憶 記憶の戦争-韓国人のベトナム戦争』三元社、2009年

・伊藤千尋『たたかう新聞-「ハンギョレ」の12年』岩波ブックレット、2001年No.526

・鄭殷溶(伊藤政彦訳)『ノグンリ虐殺事件-君よ、我らの痛みがわかるか』寿郎社、2008年

・金栄鎬「韓国のベトナム戦争の『記憶』-加害の忘却・想起の変容とナショナリズム」『広島国際研究』第11巻、2005年

・小菅信子『戦後和解-日本は<過去>から解き放たれるのか』中公新書、2005年




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