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中韓の歴史認識を糺す「もったいない」精神 禿山の植林で雨水活用を奨めた日本人

※転載元https://gunosy.com/articles/Rmcxq

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ジャカルタで開かれたバンドン会議に出席、
握手をかわす安倍晋三首相と中国の習近平国家主席
(右、2015年4月22日)〔AFPBB News〕

「バンドン会議60周年記念」の国際会議に日本が招待されたことほど、
正しい歴史認識を示すものはない。
日本はアジア・アフリカの民族自決や植民地解放に尽力したから
初回から招待されてきた。
韓国は参加の資格がなく、中国は主催者側の非同盟運動の一員としての参加である。
韓国の知識人さえ、日本が招待される理由が分からなかったようだ。

日韓基本条約の締結交渉以降、多くの補償を獲得するため
日本が一方的に搾取したという歴史を捏造し、
「日本がやった(良い)ことも認めて欲しい」と言うと、
「妄言」(マンオン)として批判する暴挙を繰り返してきたからである。

他方、中国が歴史認識を声高に言い出したのは江沢民時代からである。
改革開放で経済が発展する一方で貧富の格差が大きくなり、
人民の不満が高まってきた。そこで、歴史の捏造で日本を犯罪国家に仕立て、
人民をナショナリズムで団結させる小細工をしてきた。

このように、中韓の歴史認識とは、「史実に向き合う」ことではなく、
混乱する内政を鎮めるための方便であり、
捏造歴史の追認を日本に迫ることにほならない。


ここでは「自然回復」の視点から中韓の「歴史認識」のひずみを指摘する。

禿山の植林を説いた日本人農学者

明治・大正時代に日本はもちろんのこと、世界を観察して回り、
南鳥島の日本領土化や南樺太の領有に関係した人物に志賀重昂(しげたか)がいる。
内村鑑三と同級で札幌農学校に学んだ農学士・地理学者で、
文筆家でもあり『日本風景論』などを上梓している。
海軍兵学校の練習艦で英国による巨文島(韓国)占領状況や
南太平洋諸島における列国の植民地化競争の状況などを見ては警世し、
25歳で東京地学協会の終身名誉会員に推される。
34歳で農商務省山林局長に就くが、内閣を批判し懲戒免官、その後衆議院議員となる。
日露戦争が勃発すると外交顧問兼ねて通訳として
仁川・京城(現ソウル)・旅順の戦場に乗り込み、
乃木希典第3軍司令官の知遇を受けて観戦すること約半年に及んでいる。

遺体収容の一時休戦では、15メートルしか離れていない
日露の陣地の中央に赤十字旗を立てて、
将兵約70名が冗談を交えながらお互いの健闘を称え、
飲酒歓談2時間及んだことも披瀝(『志賀重昂全集第5巻』、以下同)している。

志賀は韓国における植林、園芸、米作、牧畜、
更には教育や国民性などについて「聞知せしもの」で、
「確実なりと認定」した事業についていろいろと述べている。

韓国の山岳は花崗岩や古生層で、もともと岩石が多くところに、
むやみに山林伐採の結果、赤裸々な禿山がことに多い。
そのため、水利の便が悪くて洪水が多発するので、
農地経営にはその4倍の禿山に植林する必要があると説く。
また、以下のようなことを紹介している。
併合後、日本人有志が韓国人2名を使って禿山に植林するが、
郡守に賄賂をやらなかったばかりに、郡守は山神の崇りがあると住民を煽動し、
培植した樹木を抜き去ってしまった。
また日本から数千本のリンゴ苗木を輸入し栽培した日本人があったが、
苗木が大きくなった頃、
「予て薪の欠乏を感じ居れる韓人共は相率いて之を抜き去り、悉く薪となしたり」
という。

日露戦争後、多くの日本人が事業するために韓国に渡航しているが
失敗している者が多く、志賀は
「百難に打ち勝つ決心」
をもつ者以外は渡航すべきでないと警告する。

韓国併合がもたらしたもの

「日韓併合後、日本人は鉄道、道路、架橋、用水路、植林、河川整備、
堤防、港湾、学校施設の建設をはじめとする、大規模な公共事業を始めた。
このために、韓国には食うや食わずの失業者が犇めいていたが、
一般の民衆に仕事が与えられて大いに潤った。
(中略)
韓国は日本の力によって短期間のうちに、
日本人が咀嚼した西洋の実用主義を定着させ、近代世界に入ることができた。
日本統治時代になって、真面目に働く多くの者が報いられるようになった。
また、韓国人の福祉が大きく増進した」
(朴泰赫著『醜い韓国人』、以下同)。

「日本が乱脈だった李朝末期の韓国社会を正し、法治社会をもたらした。
日本が韓国を統治した間に、一方的に収奪を行ったというのは、
大きく事実に反する」と著者が言うように、
日本は韓国統治時代に大きな投資を行なったために、
韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは、
どうしても否定できない事実である。


著者はまた言う。
「日本人には悪質な者もいた。
だが、日本人は総じて真面目で公徳心を持ち、
規律が正しく、韓国の水準を内地(註:日本のこと)並みに引き上げようと真剣に努力した。
(中略)
勤勉で規則をよく守り、良心的であってお人好しである。
日本の役人は、例外もあったろうが、極めて清廉だった。
賄賂をとるようなことがなく、誰に対しても公平な態度で執務した」と。

こうして、「韓国統治の収支決算は、日本にとって持ち出しだったはずである。
このようなことを言うと、今日の韓国では『妄言』だという一言で片づけられてしまおう。
しかし、そうではないのだ。歴史的事実は事実として認めねばなるまい」と自戒する。
そのうえで、「これから韓国人は、誤った歴史観と価値観をもって過去を歪め、
捏造することがないように、過去の事実を客観的に検証してゆくべきである」と、
姿勢を糺すことを求める。

以上は、ほかならぬ韓国人の声である。

「もったいない」と雨水活用を奨めた日本人

志賀が進言したように、山を管理しながら植林を進めるために、
総督府は山監(サンカン)という監督官を村に置き、
また村人が植林した山に入ることを禁じた。
こうして、日本統治時代に禿山だった山々が緑で覆われるようになっていく。
朴氏は、「小学校の日本人教師や山林局に所属していた山監や若い農村教導師は、
緑化について情熱にあふれていた。真面目で献身的な青年が多かった。
父親に連れられて、公会堂で農村教導師が講演するのをたびたび聞いた。
名調子の演説が多かった。大半が日本語を理解でき、講話は日本語で行われた。
人々は話に耳を傾け、しばしば韓国語で『ケンジャンハンラサム』(立派な人だな)とつぶやき、
『ヨクシ、ヨクシ』(なるほど、なるほど)と相槌を打った」と往時を回顧する。

また「力を合わせて朝鮮を蘇生させましょう! 
今日の朝鮮では、山川草木が空からくれた天の恵みである雨水を貯え切れず、
海に流してしまっています。
ああ、もったいない、もったいない。
そこで陸は、いつも旱魃に悩まされています。
木がもっと山に生い繁れば、天の恵みの雨の40%を飲み水や水田の水として、
または地下水として貯えることができます。
徹底的に山に木を蓄えようではありませんか。
水は生命の源であり、農耕の源なのです」といった話もあったと述べる。

併せて、「日本人は農村振興運動を進めた。
併合以前の韓国の農村には、河川に堤防もなければ、水利組合も存在しなかった」。
水利組合が結成され、河川地域に堤防が建設されると、
「恒常的だった水害から農村や農作可能な土地を守ることができるようになり、
また新しい農地がつくられ、多くのところで稲作が可能になった」ともいう。

山に草木が繁り、兎を追うことができるようになったが、
「独立後はまた勝手気ままに木を切るようになったので、はげ山に戻ってしまった」
と嘆く。

荒廃する中国

読売新聞(2014年2月11日付)は「中国南部 砂漠化」の見出しで、
湿潤な気候で知られる中国南部の砂漠化問題を報じていた。
気候変動による降水量の減少が主な原因と見られるとしているが、
せっかく植林した木を伐採するなどの行き過ぎた開発が砂漠化を加速しているとも述べている。

同記事は中国で最大級の淡水湖である鄱陽湖の降水量は、
20世紀後半に比べて12%減少し、干害が相次いでいるという。
従来は12月から渇水期に入っていたが、
ここ10年ほどは10月下旬まで早まっているそうである。
また、渇水期に湖の底にたまった砂が風で吹き上げられ、
農地に流れ込み約1割の収穫量減になっている。
他方で砂山が形成される。その砂が舞い上がらないようにと
1990年代以降、植林が行われてきた。
ところが建設業者が3年前から砂を建設用に使うため、
せっかくの植樹を伐採してしまい、元の木阿弥である。
北部は毛沢東が政権を樹立して以来、水不足に悩んできた。
黄河では干し上がった川底が露出する断流現象が起きているという。

易姓革命と呼ばれる王朝の交代は、人口増加に伴う環境破壊によって国土が荒廃し、
飢饉が発生、人民は貧困に直面し流民となり反乱を起こし、内戦に発展した結果である。
13億人になった今では黄河地帯の水不足は慢性的とさえ言われる。
そこで比較的水量が潤沢であった長江(揚子江)流域から
人工的に北部に水を引き入れる「南水北調」が行われるようになった。
しかし、南部の状況も、先にみたとおり、水不足による砂漠化が懸念され始めた。
黄河地帯で発生する黄砂に加え、近年の急速な経済発展は北京や上海など
大都市ばかりでなく中国全土にわたって極度の大気汚染をもたらし
、国際社会の環境問題にさえなってきた。

植樹は日本の「文明」

支那事変前でも、中国は主として洪水、旱魃、蝗害といった
自然災害の頻発によって食糧難に苦しみ、特に農民は悲惨な状況にあった。
この農民を救済するにも、まず第一に森をつくらなければならなかった。
日本は欧米の搾取する植民地経営と異なり、国土の荒廃を防ぎ、
人材育成で心を一つにする、今日いうところの「ウイン・ウイン」の共生を目指した。
植林について上述した通りである。

日本では陛下御手ずからの植樹祭が行われているように、
植林は日本古来の文明である。
何時でもどこでも、日本人がいるところ、植林が行われてきた。

「年々飛来しては都市を埋没させてきた黄砂を防ぎ、
それが社会衛生につながった。
林学的にいえば、中国社会の宿弊のほとんど多くは、森林の造成で解決できるものだった。
中国、ことに華北は禿山ばかりで、『林業は発達し得ない』との固定観念が早くからあった。
西洋の学者の間では、
華北の黄土層は竹木の叢生に適さないとも見なされていたが、それは間違いだった」
(黄文雄著『今こそ中国人に突きつける 日中戦争真実の歴史』)。

こうした中で、日本は華北を占領した後、
「全産業建設資材の木材供給のためだけでなく、
治山治水の見地から、直ちに森林造成計画に着手した。
森林はそれ自体が恵みある水源となり、また中国『名物』の洪水や旱魃の禍根を絶ち、
また鳥類を繁殖させて蝗害を防ぎ得る」とみたからである。

従来北部では渇水による干害が起きていた。
従って、南から水を北に回す水路が開発されてきた。
ようやく北京にもそうした水が廻送されるようになったこの段階での、南部における水量の減少である。
南部までが干害に至ったことはこの上もなく深刻なことを意味する。
そうした影響は日本にまで及んできた。水資源を求めて
中国が日本の山林などを買い漁っていると言われるゆえんである。

おわりに

朴泰赫(パクテヒョク)は日本統治下の生き証人で、
捏造の歴史認識を迫る大統領の韓国とは天地の差がある。
彼の著書は従来の日本観を否定するもので、
傾聴に値すると受け止めるどころか、大騒動になり、犯人探しが行われた。

このような告発書とも言える著述を過去にした韓国人同様、
見つかれば人間性を無視した批判に会い、社会的存在さえ抹殺される危険性がある。

「産経新聞」(5月17日付)は、日本企業が「ロール・プランター」という商品を開発し、
南アフリカの砂漠を農地化する計画を報道している。
試験段階ではかなりいい成果である。
日本はこうした国である。
日本の植民地経営は上述のように欧米とは異なっていた。
朝鮮や中国において、外国が決してやりそうにない山林を蘇生させ、
生活改善に資する政治で、住民に安心感を与えた。
山林緑化をはじめ、こうした日本の業績は世界に誇れるものであり、
「もったいない」は今日では国際語にさえなりつつある。





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