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裏切りは韓国の国是

※転載元http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-988.html

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前回からの続きです。
前回は韓国人の人格は千年にも及ぶ血と涙の歴史的経緯によって業病となり、
ついに宿痾となって人格障害の韓国人を創った。
日本人の常識では理解できない韓国人の深層を知るために
今回も韓国史を検証していきます。

前回「日本は負けを覚悟でロシアとの戦争を決意した」と書きました。
今回は少し韓国史を離れて日露戦争について考察してみます。

日本はロシアとは戦争はしたくなかった。
日本の指導者は明治天皇をはじめとして大臣や元老まで
誰一人日本は勝つ見込みがないと考えていました。
こういうことを言うと「勝てない戦争をなぜやったか」と言われそうですが、
民族というものは、あるいは国家というものは、
勝てないと分かっていても戦うのです。
逃げていてはその場では被害は少なくすみますが、
結果精神の中枢が崩壊していきます。

日本の恐怖は朝鮮半島へのロシアの膨張です。
日本は崖淵に追い詰められた。
ロシアは三国干渉で日本から奪い取った遼東半島の突端に位置する旅順港に
小艦隊を派遣してきました。
この時の明治政府の焦躁は目を覆わんばかりでした。

日本がここで戦わなかったならば、真綿で首を絞められるようなことになり、
戦わずに降参することになります。そ
のとき明治天皇は
「もう一度ロシアに対して交渉してみよ、国民を犠牲にするわけにはいかない、」と
言われました。

元老筆頭の伊藤博文は
「ロシアは何回交渉しても日本を相手にしない。
それどころか満洲と朝鮮で軍隊を増強して、
いずれ日本に攻撃をかけてきます」
と申し上げています。

日露戦争は客観的に見ても大人と子供の戦争でした。
ロシアの全兵力約300万人に対して日本の兵力は約20万人、
軍艦約60万トンに対して日本は26万トンでした。
ロシアにとって極東の小国である日本など恐れる必要は何もなかった。

ロシアのクロパトキン大将は
「ロシア軍は日本軍の3倍以上である。
来るべき戦争は単に軍事的散歩に過ぎない」
といっています。

この当時の世界は地球の面積のほとんどを白人が支配しており、
大多数の有色人種は奴隷のような境遇に甘んじていたのです。
有色人種の主権国家は全世界で、
日本、トルコ、タイ、エチオピアのたった4国しかなかったのです。

当時の世界情勢の過酷さがよくわかっていただけたとおもいます。
この状況下で有色人種である日本が
世界の大国ロシアに真っ向から戦いを挑んだのです。
世界の誰もが狂ったとしか思えないのは当然です。

当時ロシアは日本をアジアの遅れた民族としてしか見ていませんでした。
しかし日本人の文化はすでにロシアをはるかに凌駕していたのです。
その証拠に当時の日本国民の識字率は75%と欧米諸国より圧倒的に高かった。
だから複雑な兵器の取り扱い方法が
紙の説明書による伝達が可能であったために、
軍事訓練のスピードを上げる事が出来たのです。

一方ロシア側は、日露戦争で捕虜となったロシア人の中で
自分の名前すら書く事の出来ない者が過半数もいました。
名前が書けても文章が読める人は幹部クラスだけという現状でした。
これは、貴族への教育制度しかない
当時の欧米の識字率の低さがもたらした当然の結果です。

逆にロシアの捕虜となった日本兵の書いた論文が
欧米の新聞に紹介されると
一兵卒すら論文が書ける日本の文化度に欧米の識者は驚愕し、
その後、貴族中心の教育制度から、
庶民を含めた教育制度への社会改革をもたらしたほどでした。

これを見ても日本の文化度の高さは当時世界一だったといえます。
つまり私が言いたいのは、
ロシアより圧倒的文化度の高い技術立国日本の勝利は
歴史の必然だったということです。

ロシアは戦況の逆転を目指してついに切り札であるバルチック艦隊を
日本海に派遣します。
しかし戦闘が始まってわずか30分で大勢は決しました。
日本連合艦隊は一昼夜の戦闘で撃沈19隻、捕獲6隻の大勝利をあげました。
日本側は各艦とも軽傷で沈没は水雷艇3隻のみでした。
その沈没した水雷艇は味方同士の衝突事故です。まさに完勝でした。

世界の海戦史上たった一昼夜の戦闘で大艦隊が壊滅した例は
この日本海海戦をおいて他にありません。
このニュースに接した世界中の人々は驚愕しました。
日本をアジアの遅れた野蛮国と見ていたために
その驚きは天地を揺がし、
この日本の勝利にアジアの民衆は熱狂しました。

1902に天津で創刊された清國の「大公報」には
黄色人種と白色人種との間の優劣は天の定めだ
というふうに書かれています。
アジアのほとんどの国は
白人の知能はアジア人よりはるかに上である、
白人には永久に勝てないと信じていたのです。
それを日本人は日露戦争での勝利でひっくり返した、
人類の歴史はここから変わったのです。


日露戦争の勝利は有色人種が白人と同等になれた、同じ人間だと証明した
画期的な戦争でした。
日本人はもっと誇りを持ってもいいと思います。

さて話を韓国に戻します。
高宗は次々にロシアへ朝鮮内の利権を売り渡し、
もはや韓国はロシアの属国になることは歴然としていました。
だから日本は負けを覚悟でロシアに戦いを挑んだのです。
当時韓国にも真面目な人がおり、
「一進会」を設立してロシア支配を避けるために日本に支援を求めています。

「一進会」は現状の高宗を中心にした両班(官僚)主導では
韓国の独立維持は困難であると訴えて、
日露戦争への協力を申し出ています。
一進会の会員は約14万人もおり、
生命の危険を感じた高宗はしぶしぶ一進会に従います。

近代化を目指していた一進会の圧力で
高宗は日本と第一次日韓協約を結びます。
ところが一方で日本と合意しながら
高宗は日露戦争最中にロシアに密使を送り、
「日韓協約は一進会が勝手に結んだもので不当である」
と訴えています。

この高宗の二枚舌にロシアは全く相手にしませんでした。
この高宗の裏切り行為は日本側に伝わり、日本は激怒します。
日本と協約を結んでおきながら、
日本が必死で戦っているロシアと裏で手を握ろうとしたのです。

日本は日露戦争の勝利でロシアの韓国支配を排除しましたが、
国際信義を全く守らない高宗が実権をもつ韓国では
いつ再びロシアと手を結ぶか分かりません。
そこで第二次日韓協約(1905年)を締結して
一進会の後押しもあり、日本は韓国を保護国として、
高宗の裏切りを避けるために外交権を把握します。

ところが高宗は再び日本を裏切ります。
彼は1907年ハーグの万国平和会議に密使を送り、
日韓協約の不当性を各国代表に訴えましたが、
各国とも日本の立場を理解しており、どの国も相手にしませんでした。

当時の韓国首相である李完用以下、
閣僚全員が高宗の勝手な行動に激怒して皇帝である高宗の退位を迫ります。
暗殺を恐れた高宗はついに退位することになりました。

日清戦争の際も清と内通し、
日露戦争時もロシアと手を結んでいた高宗の度重なる裏切りに
日本は、ほとほと困り果ててます。


(今回は長くなってしまい、申し訳ありません
この続きは次回にて)





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