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男たちのヤマト

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※上海赴任前に書いた過去の日記
※尚、この時の会社はリーマン前に倒産しました。



異国に赴任する前に、センチになった訳じゃないですが
夕飯を仕込みに帰りに立ち寄ったコンビニのカウンターの後ろに
たまたま「男たちの大和」があったもんだから買ってみました。
で、見終わりました。

反町がどうとか、獅童がどうかと、長渕の歌がどうとかじゃなくて、
とりあえず泣き所が満載で、涙ボロボロこぼしながら見てました。

息子には会えず、嫁にも逃げられた僕には、
一人になることの辛さ、寂しさは慣れっこですが、
守らなければならないものを守り切れない悔しさは、
筆舌に尽くしがたい、耐えがたいものがあります。

実は、僕の父方の祖母の家は一族郎党海軍の軍人で、
曽祖父は技術系出身の中将、
祖母の叔父の一人は戦艦陸奥の艦長、
別の叔父はポツダム宣言受諾後に
東京湾の彼方に浮かぶミッドウェイに特攻を仕掛けて
撃墜された檜山ナントカって佐官だか尉官だそうです。

見事なくらいに皆さんが、終戦前に定年退官するか戦死してるんで、
いわゆる戦犯は一人もいないんですが、
靖国神社には祭られてるようです。
政治の駆け引きには使われたくありませんが。

何故だか知りませんが、曽祖父は東京大学卒業後に、
当時の仮想敵国アメリカに留学して
カタパルトの技術を日本に持って帰って来たそうで
当時の日本の航空戦艦に装備されているカタパルト
(もちろん大和にも装備されている)
は全部が曽祖父の基本設計だったそうです。

横須賀に係留って言うかコンクリートで固められてる
世界大戦以前の戦艦三笠の艦長も親戚だって聞きました。

僕が生まれた頃、つまり昭和の時代は、
まだ戦争について語るのがタブーな時代でしたし
軍人一族なんて言うのは敗戦すると肩身が狭いもんですから、
一族のことは黙して語らず、って雰囲気が強かったですね。

親父が生まれたのも、曽祖父の仕事の都合で横須賀でした。

そんな親父の影響を受けたのか、
僕も子供の頃から軍歌を歌って育ったので
(本当に高度経済成長期の子供か???)
今でもカラオケで
「海の男の艦隊勤務、月月火水木金金♪」
なんて歌ってることがあるんですが、
上海のカラオケでそんなもん歌ったら袋叩きに会いそうだな・・・

一応海軍ですので陸地を占拠した陸軍とは違うんですが(^_^;)

考えてみたら、僕の生まれたのが昭和ですから、
終戦から、まだあまり時間が経ってない訳で、
当時は「戦争を知ってる」人達で溢れてた訳です。

日本では、その後に「しょうもない」労働運動や学生運動が勃発して
戦争を隠してしまいましたが。

「男たちの大和」を見て思ったのは、水兵さん達の規律の正しさ。

映画の脚色以前に、おそらくは映画よりももっと規律が正しかったのだと思います。

起床のラッパがなると、全員が直ちに起床するし、
戦術訓練では、如何にして準備時間を短縮するかに、
ひたすら意識を集中させる訳です。

実戦になったら、それこそ鬼神の如く行動し、己の任務に埋没するんですね。

インテリぶって労働運動や学生運動にかまけてた
オバカな人達がいた反面で、敗戦後の日本の経済が急速に回復したのは、
この戦時中の日本人の意識がまだ残っていたからじゃないのかと思っています。

誤解されたくないんですが、僕は戦争支持者じゃありませんし、
人命を奪う、傷つける行為は
戦争だろうがテロだろうが犯罪だろうが断固反対ですが
生死を賭けた、又は生死を共にせざるを得ない状況で、
人間が持つ絶対の連帯感、責任感、
そして仲間に対する思いやりと、チームへの同化意識ほど
人間とチームを強くするものはないと思っています。

絶対的な緊張感と、それが生み出す集中力の中で生まれる、
その集束した力が、10人の力を20人分にし、
100人の力を300人分にするのでしょう。

60人の我が社、上海を入れて約300人の我が社なら、
一致団結すれば200億円位の売り上げなんて軽いもんです。

それなら全社員の平均年俸は1000万円以上ですね♪

戦争においては、共通の敵に対して、
息を合わせて一致団結して戦って勝たないことには、
自分の命はおろか、自分の家族まで路頭に迷わせてしまう訳ですが、
ここで、「敵」と言う言葉を「目的」に変えるのが穏便でしょう。

共通の敵を倒すのではなく、共通の目的を達成することで、
敵国を打ち倒すのではなく、仲間の生活を豊かにする・・・
そんな健全な闘い方をしたいものです。

「男たちの大和」で、最後の伝達、つまり沖縄への水上特攻作戦

(戦闘機の護衛もなく沖縄に突っ込んで大和を島に乗り上げさせ、
固定砲台として米軍を撃滅する=出来るもんかそんなこと!)

を参謀長に聞く時に、大和の士官が参謀長に質問をします。

「では、連合艦隊総司令官はどの艦に乗艦されて指揮を執られるのですか?」

参謀長はこう答えます。

「総司令官はいずれの艦にも乗艦されません。鹿屋航空基地にて総指揮を執られます。」

つまり、弾の飛んで来ない後方で
大和他の連合艦隊が沈んで行くのを見てる、ってことですね。

僕の今度の職務は副総経理、総経理である社長は常駐じゃありませんから、
実質的には最高責任者ですが、部下達を最前線に出して、
自分は防空壕でお茶を飲んでいるような真似はしたくありません。

前線こそが指揮官の居場所です。

大和が沈んだのは昭和20年4月7日。

最後の出撃前に、負傷して入院中の獅童の見舞に行った反町が、
病院の窓から見えた桜を見てこう言います。

「散る桜も残る桜も散る桜だ。」

僕はこう言い換えます。

「行く桜も残る桜も生きる桜だ。」









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