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中国・朝鮮・ロシアによる『日本人大虐殺!!!』

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ご存知ですか?!中朝露による、“日本人大虐殺”!!!

少し長くなりますが、左翼や反日日本人達によって、
ずーっと隠され続けてきた、『日本人の悲劇の真実』を知って下さい。

★ 朝鮮・韓国人による日本人虐殺事件-『和夫一家殺害事件』

日帝時代、慶尚道地域の日本人地主であった『和夫一家』は、日本政府の朝鮮移住政策によって、
望みもしない朝鮮生活を始める事になった。
普段から人情に厚かった和夫さんは、小作料を収穫全体の10分の1しかとらず、
村人達を家族のように考え、朝鮮総督府の法令で規定された小作料の中から最低限しかとらなかった。

貧しい朝鮮の小作人が食べ物が無いと哀訴すると、喜んで食べ物を分け与えてあげ、
村で誰かが亡くなると、家族全員が駆けつけて食事の用意はもちろん、
自ら慟哭までして悲しみを分け合った。

和夫さんはとても人間への暖かい愛情を持った人であった。
また、和夫さんの家族は、周囲に孤児がいると連れて帰って面倒を見ていたが、
一人、二人と増えていき、1945年にはいつの間にか施設孤児院の規模にまで増えてしまっていた。

しかも、和夫夫婦はこの孤児達を家族のように愛し、自ら喜んでその子達の父母と名乗った。
和夫一家は日頃から朝鮮人を愛し、日本の軍国主義を批判していた。
だが、天皇の降伏宣言後、自ら育てた『朝鮮人孤児達によって、むごたらしく虐殺された』

和夫の孤児キム・ソンス君の報告

和夫さんが実の子のように育て、東京帝国大学まで留学させていた朝鮮人Aを中心に、
和夫さんの家で教育を受け、成人するまで育ててもらった朝鮮人青年達が、
カマとツルハシ、シャベルをもって、和夫さんのもとに押しかけた。
当時、現場にいたキム・ソンス君は、この時の状況をこう語っている。

和夫:(優しい目で)何故こんなことを、お前たち。

朝鮮人A:チョッパリ!日本へ失せろ!失せろってんだ!!

和夫:(わざと怒り声で)「私が何かお前たちに間違った事をしたかい?
お前たちは、みな私の子供達だし、私はこの家の家長でありお前たちの父親だ。
お前たちの祖国が独立する事は、私も日頃から強く望んできた事だ。
踊りたくなるような嬉しい日に、なんだって凶器を持って私のところに摘めかけてきたんだい?
私はお前たちをこんな風に教育した覚えはない。
(涙を流して)本当に悲しいよ、朝鮮の子供達。
私は愛情を注いで育ててきたが、結局、日本人と朝鮮人は交じり合う事は出来無いということなのかい?
お前たちが望むんなら、帰ってやろう」

朝鮮人A:意味深長な目配せをBに送る。
(財産を全部処分して帰ったら、俺達はどうやって食ってくんだ?)

朝鮮人B:死ね!チョッパリ!!(日本人への蔑称)この糞野郎!!!

次々にツルハシが和夫さんの後頭部に振り下ろされ、
それと同時にたくさんのシャベルとカマが体をズタズタに引き裂き始めた。
和夫さんの妻は耐えられずに飛び出してきた。
それまでじっとしていた朝鮮人Cは、和夫さんの妻を見ると、
彼女の髪をつかんで庭の片隅まで引きずっていった。

そして、なんとその和夫の孤児達13人は、
一週間前まで「お母さん」と呼んでいた“彼女を強姦し始めた”。
彼女はひどい集団強姦の途中で虐殺された。
朝鮮人Dは、普段、お母さんと呼んでいた彼女の“全身をめった刺し”にし、
それでも足りずに“内臓をかき出して”撒き散らした。

和夫さんには「ひみこ」という娘が一人いた、
普段から模範的で良い子だった「ひみこ」は、学校が終わって家に戻り、
両親に起きた“惨状を”見ると、気が触れてしまった。
当時、「ひみこ」の慟哭が何日も続き、近所の住民は眠れなかったという。
その後、孤児となった「ひみこ」は、食べ物乞いに村を回ったが、
誰一人見向きもせず、知らないふりをした。結局、「ひみこ」は9日後、
村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。
「ひみこ」は小学六年生だった。
和夫の財産は、和夫が精魂込めて大切に育てた朝鮮人孤児達
(この恩知らずの鬼畜ども)の手に丸ごと渡り、
この事件は、『村人達の沈黙の中で徐々に忘れ去られていった』

日本の敗戦後、南朝鮮地域では9月初めに第24軍団が進駐するまでの約1ヶ月、
無政府状態の時期があった。
その時、朝鮮に住むに日本人は米軍政府の命令に従って、
日本に強制引き上げさせられた、その中には虐殺された日本人も多くいた。

★ ロシア人(旧ソ連)による日本人大虐殺-『氷の原爆』

残酷なソ連軍(現ロシア)に占領された満州とモンゴル、
そして国民党と共産党の中国地域にいた日本人は、軍人であれ民間人であれ、生き残るのが難しかった。
特に“ソ連軍による蛮行”は、抑留60万人、虐殺6万人というのが通説になっているが、
ロシアのジャーナリスト、アルハンゲリスキー氏が書いた
『シベリアの原爆』(邦題:『プリンス近衛殺人事件』、新潮社、2000年)
という本によりその実状が暴露された。

この本によると、『ソ連による日本人抑留は約100万人に達し、
この内40万人が虐殺されたという』シベリアで虐殺された日本人が、
アメリカの原爆で殺された死者より遥かに多い為、
アルハンゲリスキー氏は、『氷の原爆』と名づけたという。

日本との中立条約を一方的に破棄し、満州に攻め込み、無抵抗な日本兵、民間人を連行して、
シベリアの鉄道建設の労働力として、ラーゲリー(収容所)に抑留した。
涙も凍る極寒のシベリアで食料も防寒具もろくに与えられず、
(日本人は、夏服しか持っていなかった)重労働を課せられ、
実に40万人という、夥しい日本人が死亡していったのです。
まさに『氷の原爆』です。しかもソ連は、虐殺された日本人死者の数字を誤魔化すだけでなく、
スターリンは、『日本人虐殺の証拠を隠滅する為』に、日本人墓地の破壊までやってのけたのです。

★ 中国人による日本人大虐殺-『日本女性の悲劇』

『満州開拓史』(昭和41年発行)に、『事件別開拓団志望者一覧』が記載されている。
避難の途中、中国軍、ソ連軍、満州軍、中国暴民の襲撃などにより戦闘死又は自決した者の内、
ほとんどが“全滅”あるいは犠牲者を出した例を一覧にしたものだ。

置き去りにされ、オオカミの餌食になったと思われる日本人の子供達もいた。
栄養失調で死ぬ日本の子供達が続出した。
昭和18年に、大陸の花嫁として敦賀港から満州に渡ったK子は、
満州での生活にも慣れた頃、日本の敗戦を迎えた。
開拓村を出発してまもなく、中国人の匪賊の襲撃を受ける。

「これまで親しくしていた中国人の友人も“匪賊”と化して襲ってきました」
妻を、夫を、愛する我が子を交戦の場に残して、人々は逃げ惑った。
難民収容所の生活は、塩を入れたトウモロコシの粥だけ。
栄誉失調で倒れるものが続出し、治安が収まると、クーリキ(苦力)として働かされた。
そして、「『日本人は皆殺しだ!』と宣告され、幼児までが『中国語で話せ!』と強要された」

ソ連軍はもとより、それ以上に残酷で鬼畜な所業は、
中国・満州側の軍人と国民が、貧しく無抵抗な「日本開拓団民」を、襲撃し、
日本女性を衆人監視の前で強姦し、中国人たちの『性奴隷』として働かせ、
赤ん坊のオシメまでもぎ取り、虐待し、虐殺したことだ。










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